現実のドラマ再現、私が見たこと聞いたこと

住み込み農業バイト編

高原野菜の収穫を約3ヶ月していた時の話。

 

農業の仕事、それも収穫となると体力的に負担の大きい作業が想像されるだろう。実際に一年の半分で仕事をして、もう半分は雪や気候の理由もあって作物を作らなくても生活の成り立つ農家もいるわけで。

作業内容がその期間に圧縮された密度の濃いものになるのも頷けるだろう。

その仕事を生業にしているのなら、受け入れることができる。実入も多いし覚悟がある。しかし、短期の仕事でそのような環境に飛び込み住み込みで働くとなると、様々な姿勢の人間が出入りして様々な模様を描くことになるのは当然で、それがなかなかドラマチックなのだ。

周辺農家での出来事

農業実習生として海外から働きに来ている外国人労働者を多く見かける。国籍も多様だと思われる。彼らと会話をしたことがないので、肌の色などの外見でしか判断できないが、数カ国の人種がいたことは確かだ。

彼らのうちの何人かは猟友会ではなく狩人だった。手前の罠を張り鹿を解体して食す。そんな彼らが集団で脱走したという噂がちらほら届く。その理由は定かではない、ただその噂を聞くたびに「辛いよな、分かるぜ。できるだけ遠くへ風のように去れ!」と後押ししたい気持ちに駆られるのは、短期のバイトで来ていた仲間たちも同感のようだった。

身体に生じる症状

畑は数カ所に分かれていたが、総面積東京ドーム二つ半という広大な敷地にびっしりと野菜が並び収穫の時を待っている。ヘッドライトを点灯させて星の輝く時間から包丁を手に狩り始める。収穫は全て手作業になる。「腰」というかつて忠実な身体の一部だったところがいうことを聞かなくなる。

寝返りがしづらい、うつ伏せでいると痛む、靴下を履くことがギリギリの行為になる、トイレに座る前に唸る、などの生活の些細な場面が一仕事に変わる。

しかし何にでも、どの世界にも「向こう側」が存在するのです。

辛くてもうだめだ、腰が壊れてしまう、という健全な反応という境界を越える日が来るのです。

針が一方に傾き戻らなくなる、そうなればよそよそしさはあるものの、もう腰は痛まないのであります。これは本当の話です。

 

続く......